妄と想

週末作家の連想いろいろ。https://twitter.com/KeitaIriyama

ぼくの小説に影響を与えた本その1

芝生の復讐
芝生の復讐 (新潮文庫)
リチャードブローティガンによる短編集。
芝生が復讐する表題作が面白いです。
のんきだったり、カラーフィルムのホームビデオのようだったりします。

ヴァージニアウルフ短編集
ヴァージニア・ウルフ短篇集 (ちくま文庫)
短編集。
異界と繋がっている人を初めて見たと思いました。
「青と緑」、「弦楽四重奏団」などの色や音を表すために塗り込まれた言葉に衝撃をうけました。
意外にアブストラクトな印象です。

箱男
箱男 (新潮文庫)
安部公房が好きというと叔父辺りの年代の人はあれは難しいねと言い、同級生の女の子は面白いと言っていました。
冒頭にある、男がかぶるための箱の製法が正確で、製図のような文章だと思いました。
徘徊暮らしのリアルさ、偽箱男や箱を売ってくれと言う看護婦。誰が誰だかわからない、物語が始まる前の物語。楽しかった。

カンガルーノート
カンガルー・ノート (新潮文庫)
晩年の安部公房の作品。
スネからかいわれ大根の生えた男が、自走式ベッドで地獄めぐりする話。
白昼夢のような文房具のプレゼン、主人公の知識すらも追っ手になったり、空飛ぶイカ爆弾から逃げるシーンもあります。
イメージに特化した日本語の省略精神、切れ味も醍醐味。

エレンディラ
エレンディラ (ちくま文庫)
ガブリエル・ガルシア=マルケスの短編集。
世界で一番美しい水死人の話は、ぼくの好きな作品ベスト3に入る短編です。
死者の埋葬で共同体が一丸となる過程と、ラストに学ぶものがありました。

予告された殺人の記録
予告された殺人の記録 (新潮文庫)
同じくガルシア=マルケスによる中編小説
証言のモザイクが増えるたびに1つの事件が浮き上がっていくのが気持ち良かったです。

笙野頼子三冠小説集
笙野頼子三冠小説集 (河出文庫)
笙野頼子 作。
土着で狂った不思議な「二百回忌」という作品が好きでした。トランス状態のような蘇生の儀式が終わり、大段円の果てに帰宅して、呪術の余韻として登場する最後の消しゴムが、拍子木のようなちんまい終わらせ方を担っていて好きです。

カメレオンのための音楽
カメレオンのための音楽 (ハヤカワepi文庫)
トルーマン・カポーティー 作。
カメレオンの色の変化が、疑わしい婦人の玉虫色の回答に色を添えています。
自分は解決しない事件ものが好きなんだと自覚した作品。

河童、或る阿呆の一生
河童・或阿呆の一生 (新潮文庫)
芥川龍之介 作。
歯車の短い文章が章分けされているのが、小学生の自分には新鮮でした。
余白は優しいから好きなんだと思います。

薮の中
藪の中 (講談社文庫)
一人の男の死に関して、様々な証言を連続して並べて書いているが、証人と当事者の発言は七人七様で、全ての辻褄があわない。
解決されない事件というより、疑えば皆が疑わしく見える。という小説なんだと思いました。

スローラーナー
スロー・ラーナー (トマス・ピンチョン全小説)
トマス・ピンチョンの短編集。
エントロピーという、部屋で引っ越しパーティーをしている連中には和音コード、別の部屋で弱った猫を見守る男女には熱力学の用語が暗喩としてちりばめてあります。
音楽にはフィナーレ、熱力学にはヒート・デス
始まりがあったら終わりがあるという、共通点にはっとしました。


そのようなものが自分の体を通って混ざると
こんなものが出来上がります。

SNACK ADVENTURES
SNACK ADVENTURES
変な話って、いいですね。

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答えが風邪に吹かれている

 風邪を引き、お休みをもらいました。

 本日は、自己の実感と重なっている名言を書いてみます。

 

自然は自己の法則を破らない。

レオナルド・ダ・ヴィンチ

 

いずれ、誰もが自分の考えたいようにだけものを考えるようになるだろう。そうなったら、みんなの考えはますます似てくるだろうね。

アンディ・ウォーホル

 

すべて学び、そして忘れろ。

マイルス・デイヴィス

 

美しい物を作れ、そうすれば解決する。

―三木忠直

  

同じことを繰り返しながら違う結果を望むこと、それを狂気という。

アルバート・アインシュタイン

 

昨今、いろいろと過剰なので、ピントが合い、すっきりするための名言を読むと燃費がいいです。

耳に逆らうものはおつまみ程度に。

しかし、できることなら、黒ヤギさんのように読まずに食べたい。

というのが本音です。

 

さて、書いていたら眠くなってきました。名言は、痛みに届いて、速く効く。おっと、これはキャッチコピーでした。

 

ろくな晩じゃねぇや。寝ちまえ、寝ちまえ。寝て起きりゃ別の日だ。

杉浦日向子著「百日紅」より

 

それでは、おやすみなさい。

旬のテーマ風ステーキ

 今日は皆さんとご一緒に、古代テーマ人も愛したという雑記を現代風にアレンジしてみましょう。

 

■旬のテーマ風ステーキ■

 

・テーマ(ブロックを熟成させ柔らかく、筋は残しておく)...100g

・過去(水で頭を冷やしアク抜きしたもの)...5g

・辛さ(心を開き、下手を取り除いたもの)...1/8個

・汗水少々(大量だと味がわからなくなる)...小さじ1/4

・旬の希望(長期保存した物は匂いを確かめる)...大さじ1

・ユーモア(テーマによってお好みで)...ひとつまみ

・分析(ユーモアをまぶし過ぎた場合には配分に注意)...1~100%

 

・テーマにその他の材料を加えます。火加減は人肌からホットコーヒー程度(炎上に注意)しっかりしているのを確かめたら、完了ボタンを押し、送信しましょう。

 

こうして出来上がったものが上記のブログになります。

※会食やお子さまの誕生パーティー等には不向きですのでご注意を※

書かれない部分への憧憬

 書き言葉にどっぷりの生活をしていると、不意に、世の中が語られない部分でできているような気持ちになります。

  書かれた世界と書かれなかった世界は、朝と晩ほど対として単純でないにせよ、真夜中の秘密、夜更けの陰謀といったものではなく、その人が「言ったってしょうがないと思っていること」や、その人にしては「珍しい弱音」が、案外いろんなヒントになっていることが多々あります。

  赤ん坊は何でもオモチャにするから乳児向けの玩具は効果が計りづらいんだよ。とか、コーラは赤いから、空き缶になっても見てしまうね。とか、シンクの丸穴の筒は、浅い方が掃除がしやすくて、野菜をこまめに捨てることができるのに。とか。

 

  誰かのアウトは誰かのストライクだと考えると、少し気分が晴れます。

    

手持ちの本から02/音楽の秋と読書の秋を同時に

  真夏も遠くなり、朝晩が過ごしやすくなりました。さて、読書の秋と音楽の秋を同時に楽しんでみてはいかがでしょう。

  演目は、ヴァージニア・ウルフの弦楽四重奏団と、梶井基次郎の器楽的幻覚。共に掌編となっております。

 

 

 

 ■弦楽四重奏団/ヴァージニア・ウルフ■

 

ヴァージニア・ウルフの弦楽四重奏団は混ぜ書きで、全てが音の比喩描写なのか、演奏中の観客のやり取りがコラージュのように挟まれているのか、文末も、演奏の終わりを表現したのか、演奏会終了後のやり取りなのか、明確な区別のないまま書かれています。

 

 

http://www1.bbiq.jp/kareha/trans/html/string_quartet,_the.html

 

ヴァージニア・ウルフ短篇集 (ちくま文庫)

ヴァージニア・ウルフ短篇集 (ちくま文庫)

 

 

■器楽的幻覚/梶井基次郎

 

梶井基次郎の器楽的幻想は、目がやっていることと、耳がやっていることが分けられており、楽曲に影響を受けた自己となっています。休憩時間は休憩時間、演奏終了後は演奏終了後と、きちんとわかるのが特徴です。

 

http://www.aozora.gr.jp/cards/000074/files/422_19700.html

 

 

檸檬

檸檬

 

 

手持ちの本から01/本を読むときに何が起きているか

音、リズム、登場人物の顔。

本(小説)を読むときに読者が想像していることや、読者に起こっていることを文字とビジュアルで表現してある本です。


f:id:iriyamakeita:20161012212550j:image

※読者は観客であり、指揮者である。の頁より。

 

リンクから飛ぶと中身が少し見られます。

素晴らしい本です。

 

本を読むときに何が起きているのか  ことばとビジュアルの間、目と頭の間

本を読むときに何が起きているのか  ことばとビジュアルの間、目と頭の間

 

 

科学のSF的だけど外れてほしい架空の未来

  これから、勝手に危惧してることを書きますね。

 

   昔の脳科学の記事で、異性愛者の男性の脳は、きれいな女のひとの写真をみたときに反応する部分とコカインを与えられたときに反応する部位が同じ、というのがありました。だからといって、女性はイコール麻薬ですとダイレクトに捉えたら、怖いなあと思いました。

  

   文学の描く対象のひとつに、漠然とした不安や焦燥というのがある(あった?)らしいんですが、これの原因のひとつに、白砂糖の過剰摂取というものがありまして、共感した読者の漠然とした不安のうち、いくつかは低血糖の症状として、食生活の改善で良好な状態に持っていけたりします。これは栄養学や医学のポジティブな応用ですが、例えば、精神医学上では、文学作品による浄化(カタルシス)とは、共感を材料にした、一方的な対話療法である。というふうに世の中がなってしまうと仮定すると、文学作品の浄化という用語が、多少なりとも変わってしまう可能性もあるのです。

 

   そういった影響は、生活にも及びます。脳科学の比喩で言い換えると、仮に、黄色い声援を研究するとして、黄色い声援を聞いたとき、もし黄色を見たときと同じ場所が活発になったり、声援には色はないといった場合はセーフですが、緑色を見たときと同じ場所が活発になった場合、黄色い声援は実は緑色の声援だったということになってしまいます。

   この日記の文学の浄化や声援の色味の話は架空の研究結果ですが、科学が進むということは、民間療法の「人体への効果」への是非だけでなく、生活の中で使っている「普段の言葉」そのものを、擬似科学的な用語だったという結論を導くことにもなりうるんです。

 

   では、科学的な研究成果によって否定されるのが、言葉ではなく、文化や道徳だったらどうでしょうか。仮に、他者への優しい手助けが、リラックス状態における微弱な人間不信とイコールであると証明されたとしたら、仮に、厳密な表記のために、善良な行動を示す言葉が、脳科学の用語から削除されるようなことになってしまったら、善良な科学者が口酸っぱく、モラリストとして釘を刺したにもかかわらず、優性遺伝や劣性遺伝とは価値の上下であるというような誤解(ほんとうは、遺伝子の強弱を指す言葉です)まで生みながら、そんなふうなブラックボックスじみた研究結果が人々に普及してしまったら、以後の人間の生活は、まるっきり違ったものになると思いませんか?

 

    なにも爆弾だけが生活空間を破壊する道具だとは限らないのです。受け取り方、伝え方、内容そのものの混ざり方によっては、論文だって、十分その役割を持ちうるのです。

 

   とはいえ、失神だけが医学用語でも、我々は現在も変わらず気絶という言葉を使い続けていますし、同じ動物だからと言ってわざわざ生きた人間を飛行機で貨物あつかいしません。ラブレターの締めくくりが、心から愛を込めて、から、脳が興味を持っている。とはならないでしょう。耐えられないという理由で、適用すら思いつけないものもあるのです。きっと人間の意味づけは、ひとりの人間や、ひとつの組織ではできないようになっているのでしょうね。