妄と想

週末作家の連想いろいろ。https://twitter.com/KeitaIriyama

狼に育てられた少女が2回死ぬ話

   タイトルも思い出せないくらいの幼少期に読んだ雑誌かなにかに、親から山に捨てられて、狼に育てられたという少女の話がありまして、よほど衝撃だったのか、発見されたときの少女が手足で歩き、保護されてからもたびたび家の鶏を襲い、沸騰した鍋の湯に手を突っ込み、言葉を少し覚えた数年後に死んでしまったということを、今でも思い出せてしまいます。ひょっとしたら、漫画だったか挿し絵つきの児童文学だったかすらも定かではないのに、鶏を襲っていた狼少女の絵がとてもかわいそうだったので、そのときの感情がしおりになってしまったせいかもしれません。

 

    狼が育てたら人間も狼のようになるという、今まで持っていなかった視点を手に入れたら、あとはもう、外国で生まれていたら外国語が喋れるかわりに日本語が喋れなくなる、といったふうに、思い思いに応用するだけでした。

 

    数年前、ふと気になって調べてみたら、ネットにこの話の検証を引用した記事があり、そこで、けっこうな大昔に真っ赤なウソだという結論がでていたことを知りました。そこには、犬歯が発達するなどの医学的に不正確な記述があるといった、当時の検証結果が羅列されており、ウソを実話として発表した神父が実在していたことが、暴かれた話を一層不憫なものにしていました。

    不憫だったのは僕の頭も同様でした。今現在でも、モデルとなった少女がなぜ狼少女になり得たかという、実話としての身体的特徴が思い出せないままだからです。なぜなら、利用されたとはいえ、狼少女が最初から人間として育っていたなら問題ないはずなのに、僕は、あんなに不幸な狼少女が、最初からいないことになってしまうのが、さらに耐え難い不幸に思えてきて、その記事を読んだ端から忘れていったからです。

    子供時代の妙な片思い、嘘つき神父、実在したと思われていた狼少女、実在しなかった狼少女、モデルとなった少女、信じたが故に裏切られた自分。いつしかこの話は、少し視点を変えただけで、だれもが不幸になってしまう話になってしまいました。しかし、それ同様に、教材的な意味を手探りさせようという、誘導的な書き方から少しでも目を逸らしてやれば、全ての登場人物に、悲劇の文外に追いやられる類の、幸福で軽薄な瞬間があったのかもしれません。

 

   さて、およそ、そういった流れで、狼少女は2度死にました。「Aが異なるBを上手く育てたら、Bは疑いも信じもせず、Aの生活そのものになってしまう」という、脱け殻のように清潔で乾燥し切っている物差しを残し、彼女は、自分が生まれた場所でもある、あの日の挿し絵を構成する、黒々した輪郭線に埋葬されてしまいましたとさ。

 

    おしまい。