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妄と想

週末作家の連想いろいろ。https://twitter.com/KeitaIriyama

科学のSF的だけど外れてほしい架空の未来

  これから、勝手に危惧してることを書きますね。

 

   昔の脳科学の記事で、異性愛者の男性の脳は、きれいな女のひとの写真をみたときに反応する部分とコカインを与えられたときに反応する部位が同じ、というのがありました。だからといって、女性はイコール麻薬ですとダイレクトに捉えたら、怖いなあと思いました。

  

   文学の描く対象のひとつに、漠然とした不安や焦燥というのがある(あった?)らしいんですが、これの原因のひとつに、白砂糖の過剰摂取というものがありまして、共感した読者の漠然とした不安のうち、いくつかは低血糖の症状として、食生活の改善で良好な状態に持っていけたりします。これは栄養学や医学のポジティブな応用ですが、例えば、精神医学上では、文学作品による浄化(カタルシス)とは、共感を材料にした、一方的な対話療法である。というふうに世の中がなってしまうと仮定すると、文学作品の浄化という用語が、多少なりとも変わってしまう可能性もあるのです。

 

   そういった影響は、生活にも及びます。脳科学の比喩で言い換えると、仮に、黄色い声援を研究するとして、黄色い声援を聞いたとき、もし黄色を見たときと同じ場所が活発になったり、声援には色はないといった場合はセーフですが、緑色を見たときと同じ場所が活発になった場合、黄色い声援は実は緑色の声援だったということになってしまいます。

   この日記の文学の浄化や声援の色味の話は架空の研究結果ですが、科学が進むということは、民間療法の「人体への効果」への是非だけでなく、生活の中で使っている「普段の言葉」そのものを、擬似科学的な用語だったという結論を導くことにもなりうるんです。

 

   では、科学的な研究成果によって否定されるのが、言葉ではなく、文化や道徳だったらどうでしょうか。仮に、他者への優しい手助けが、リラックス状態における微弱な人間不信とイコールであると証明されたとしたら、仮に、厳密な表記のために、善良な行動を示す言葉が、脳科学の用語から削除されるようなことになってしまったら、善良な科学者が口酸っぱく、モラリストとして釘を刺したにもかかわらず、優性遺伝や劣性遺伝とは価値の上下であるというような誤解(ほんとうは、遺伝子の強弱を指す言葉です)まで生みながら、そんなふうなブラックボックスじみた研究結果が人々に普及してしまったら、以後の人間の生活は、まるっきり違ったものになると思いませんか?

 

    なにも爆弾だけが生活空間を破壊する道具だとは限らないのです。受け取り方、伝え方、内容そのものの混ざり方によっては、論文だって、十分その役割を持ちうるのです。

 

   とはいえ、失神だけが医学用語でも、我々は現在も変わらず気絶という言葉を使い続けていますし、同じ動物だからと言ってわざわざ生きた人間を飛行機で貨物あつかいしません。ラブレターの締めくくりが、心から愛を込めて、から、脳が興味を持っている。とはならないでしょう。耐えられないという理由で、適用すら思いつけないものもあるのです。きっと人間の意味づけは、ひとりの人間や、ひとつの組織ではできないようになっているのでしょうね。